コーヒーのお便り。〜VOL.6〜
ラオスと僕
ラオスは僕にとって3カ国目だった。
ベトナムで金品を盗まれ、少しだけホームシックになっていた僕を受け入れてくれたのは、川が流れ、山は高く、砂煙を巻き上げながら風が吹くラオスだった。
ラオスのルアンパパーンという街には大きな川が流れている。その川をエンジンもついてない手漕ぎの木のボートが渡していた。僕は向こう岸に行こうとその船に乗ろうとした。
「日本人はOO円だ」と丸坊主のラオス人が僕に言った。その値段は僕の目の前で船に乗ったラオス人の三倍だった。当然のように抗議をしたけれど、「日本人だから」という理由には勝てなかった。結局僕は悔しさから船には乗らず、のらりくらりと進む船を眺めながら「人種」を意識したのだった。
街を歩くといたるところにお寺がある。ふと境内に入ると僕よりも若い修行僧がオレンジ色の布を身に纏い、修行に勤しんでいた。その光景を見た時、もし僕がここに生まれていたら、この少年と同じく頭を丸めて深々と仏像に頭を下げていたのだろうか。そんなことをぼんやりと考えたのだった。
(その少年がこっそり携帯をいじっているのを見て、僕は何も言えずその場を立ち去った)
旅人にとりわけ人気な場所としてバンビエンという町がある。コンクリートもなく、竹で編んだ建物があるような自然に囲まれた場所だった。町はドラゴンボールに出てくるような岩山に囲まれ、空はどこまでも青く、そして広かった。僕はバイクを借りて、道路もなければ信号もない道をただ走ってみた。巻き上がる砂煙と自然に抱かれ、僕は初めて旅の醍醐味を知ったような気がしたのだった。
ラオスは周辺のベトナムやタイに比べ、発展が遅れているという評価を受けている。でもそれはラオスが自然を残したいと思ってした一つの選択だったのではないかと考えた。壮大な自然に囲まれ、人々は助け合いながら慎ましく川の流れのように時を生きる。それは美しく、羨ましく僕の目に映った。願わくばこのままであってほしいそんなことを僕はふと考えたのだった。
この一年後、大学の研究のお手伝いで再びラオスに訪れることになった。向かったのは、小さな田舎の村だった。そこで子どもたちの健康状態や衛生問題の指導と改善を行ったのだ。その時に目にしたのは、自然のままでいることを選んだラオスの現実だった。不衛生な生活環境があり基本的な衛生観念もないため病気に苦しむ方も多く、みんな僕らに助けを求めた。
「自然のままで良い」というのは発展した国に住む人間の一つのエゴなのではないか。そんなことを痛感させられた。この出来事をきっかけに僕はJICAのボランティアへ進むことを意識しだしたのだった。
当時そんなことまで見えてなかった僕は、「旅行先としての」自然に癒されながら寝台列車に乗って、旅のスタートであり、ゴールでもあるタイを目指したのだった。